元和元年(1615年)道頓堀川が生まれ、江戸幕府が大阪を直轄領とし、市街地の拡張策をとった時から町がはじまる。沿岸のうち西横堀川との合流点を境に(北岸に)布袋、宗右衛門、御前、久左衛門、(南岸に)港、吉左衛門、立慶、そして後にこの地蔵尊が生まれた久郎右衛門、と町屋建設が進み川八町が誕生しました。このうち、南岸は承応2年芝居名代5棟が公認されてから歌舞伎、義太夫、見世物などの小屋が並んで栄え、五座の櫓(やぐら)が立って賑わい、櫓町と称される芝居町になりました。元禄12年には、いろは47軒の水茶屋が免許されて軒を連ね、北岸の宗右衛門町、南岸の九郎右衛門町(現在の道頓堀2丁目)の花街あいまって、町人文化の核となったのです。
元和元年(1615年)道頓堀川が生まれました。大阪が江戸幕府の直轄領になった時に、道頓堀川の北岸に布袋、宗右衛門町、御前、久左衛門、南岸に港、吉左衛門、立慶、そして、地蔵尊が生まれた九朗右衛門(現在の道頓堀2丁目)と町屋の建設が進み、川八町が誕生しました。承応2年、南岸に芝居名代五棟が公認されてからは、歌舞伎、義太夫、見世物等の小屋が並び、五座の櫓が建って、櫓町と称される芝居小屋として賑わいました。元禄12年にはいろは47軒水茶屋が軒を連ね、北岸の宗右衛門町、南岸の九朗右衛門(この地)が二大花街として町人文化の核となります。町の発展に伴い多くの住人が出世を願って地蔵尊に願掛けに訪れるようになりました。しかし昭和20年の大空襲で町が焼け野原となり、地蔵尊の行方もわからなくなりました。ところが終戦後、数年たったある日、この地蔵尊が土の中からみつかり、新しく「出世地蔵尊」と命名されて現在地に祀られました。再出現から今日に至るまで、出世(上に昇る)を願う、多くの善男善女が参詣しています。出世や栄達に御利益があると評判の西道頓堀新戎橋の新名所です。
御堂筋の西側、現在の道頓堀2丁目付近は、九郎右衛門町とよばれ江戸時代より花街として賑わいました。そこに古くから祀られていたお地蔵さんは芸妓や俳優 が出世を願い参りにきたことから「出世地蔵尊」と呼ばれたと言います。大阪大空襲で行方がわからなくなりましたが、終戦から数年後に土中から発見され現在地に祀られました。ご利益を求めて多くの人が訪れます。毎年地域の子どもたちの健やかな成長を願って地蔵盆祭りが開催されます。
日 程 | 2024年8月23日(金) |
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詳 細 | 地蔵堂に提灯が飾られ、読経があります。 |
交 通 | 大阪市中央区道頓堀2-1(地下鉄「なんば」駅徒歩3分、 阪神・近鉄「大阪難波駅」徒歩3分、南海「なんば」駅徒歩6分) |
主催者 | 道頓堀振興会 |